OLYMPUS PEN Fの魅力 ②
日本が誇る伝説の光学技術者、米谷美久。
OLYMPUS PENシリーズの生みの親。そして世に出てから半世紀以上経った今も尚、
全く色褪せることのないPENのデザインを生み出した人物こそ、米谷美久その人です。
6,000円の縛りが生んだ、初代PEN。
1959年、当時新人設計者であった米谷さんは、上司から「6,000円(同社の最も安価なカメラの
約1/4の価格!)」で売れるカメラを作れ!という、半ば無茶なミッションを受け、その価格の
縛りを逆手にとり、自由な発想で設計をして生まれたのが、日本で初めてのハーフサイズカメラ、
OLYMPUS PEN。シンプルで使いやすく、写りもいいPENは、同社空前のヒットとなりました。
PENの魂を引き継ぐ、世界初の“ハーフサイズ・一眼レフ” PEN F。
そのPENの大成功を受けて、次に開発着手したのがこの「OLYMPUS PEN F」シリーズなのです。
しかしこのカメラ、ただのハーフサイズカメラではありませんでした。まだ世界で誰も手がけた
ことのないカメラ、“ハーフサイズ・一眼レフ”という、新たなシステムを作り上げたのです。
“世界初”づくめのプロダクト。
トータル18種類もの交換レンズシステムを要した、唯一無二のハーフサイズ一眼レフ“F”シリーズ。
(キヤノンデミCは二本のレンズ交換のみなのでハーフサイズ一眼レフ“システム”には含めません)
“世界初”づくめのプロダクトなので、当然設計は全くのゼロからのスタートです。
設計の高い壁は、アイデアで乗り越える。
米谷氏が仕事の合間に、そして余暇の時間に、少しづつ温めていた様々な独自の設計構想を提案し、
その強い熱意と意気込みを見込んだ設計部長の後押しとともに、PEN Fの開発はスタートしました。
しかし、「設計構想」と「生産技術」では、その難易度の次元が全く異なります。何度も立ち
はだかる様々な技術の高い壁を乗り越え、1963年、遂にOLYMPUS PEN Fは誕生したのです。
---オリンパス「米谷美久講演会」より
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